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不思議の国の日記
"I see nobody on the road." 彼女には彼が見えるのです
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上げたら下げるべし
何度か目を覚ましたものの、おきられず。昼から学校。一日中P3Pの曲が頭のなかで流れている。
四足の復習。基底こみで書いてくれないとよくわからないうえに
どうして上と下を自由に操作していいんだけ? というあたりからして理解が足りない。相対論からやりなおすべきか。
他の人の発表を聞くが式を出されても何の話だかわからん。うまくやらなきゃ、と思うが時間が足りるかどうか。
春までのことだけ書けばよいらしいので気は楽になったのだが、サボり癖が強化されそうでこわい。

帰りに新幹線のチケットを買う。もう一週間ないのですな。

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昼は二本、夜は三本
午後から学校。
LQGのやつに挑戦するがこれは四足での計算がわからんので読めない。
四足の計算部分をちゃんと書いてあるやつを探すが見つからず。ちゃんと書いてよ!
教科書もあるにはあるのだが、品切れらしい。図書館の使い方がわからんのがなぁ。

ポータブル・トラック
例の新刊(年末に全巻揃ってから読もう)とP3POSTを買って、夕方から学校。
LQGの簡単そうなレビューを読み始めるが、計算ができない。
行列式は苦手だ。定義がよくわからないし、微分はテキストを見ないとできない。
個別に成分を計算すればわかるのだが、一般的に書こうとすると途端にわからなくなる。

P3Pのサントラを聴く。PSPもってないのでゲームはやってない。
新OP+女主人公編の曲。ボーナスの「A way of life」のアレンジが一番よいな。
戦闘曲はサビはかっこいいのだがイントロがベイベベイベと比べるとしょんぼり。
しかしP3Pはこの曲数でもサントラを出すのに、移植P1はなぜ初回特典にしたのかがわからん。

絶滅五分前
昼におきる。十二時間睡眠。今日は休んで土日に出よう。

「ウォッチメン」を観る。原作既読。パッケージ裏の紹介文がひどかった。
かなり原作に忠実な映画化だった。ラストこそ少し改変してあるが、やってることは同じ。
Dr.マンハッタンと“太った男”の話がカットされていたのは残念だが、ほとんどの出来事は回収してある。
画面の情報量が多く、字幕を読んでいる時間が惜しく感じた。リスニング能力が欲しいところ。
「サウンド・オブ・サイレンス」が流れるシーンがあったのだが、ひょっとして他のシーンの曲も
アメリカン懐メロになっていたりするのだろうか? たしかにアメリカローカルな話ではあるのだが。
カメラのフラッシュで一瞬だけ明るくなって時代が移っていくOP(タイトルバック)が映像も音楽もすばらしい。
ひとつ疑問だったのが、コスチュームヒーローはあくまで中身は普通の人間なはずなのに
この拳で壁を突き破ってしまうようなアクションでいいのだろうか、というところ。見た目重視?

「ひぐらしのなく頃に誓」を観る。まさかの実写二作目。
原作の「罪滅ぼし編」をもとにしている。単なる慣れかもしれないが
前半のレナの家の話のあたりまでは「前作よりいいんじゃないの」と思えた。
前作ではほとんどなかった学校のシーンが増えたのが雰囲気をノスタルジーの方向に補正している。
OPの中庭ではためくシーツは不穏さを端的に表わしていてよい。演技とは呼べないが
小さな子供たちの遊ぶシーンも田舎の分校という“ファンタジー”になっている。
一番よかったカットは台所で食器を洗う沙都子と梨花ちゃんの足が映るカット。ここがピーク。
後半、レナの殺人がわかったあたりからは前作以上のひどさ。会話シーンが圧倒的に下手。
ゲームとちがってクサい台詞がキツイというのもあるし、会話になると交互に顔のアップが
映るだけになってしまって物凄く退屈になる。その場に五人いても年長者組しかしゃべらないので
年少二人が突っ立ってるだけになるのもよくない。それでなくても出番が少ないというに。
屋根の上の格闘もこうして実写にしてしまうと警察すぐそこにいるし変だよ、と違和感が出てしまう。
話についてはいちおう前作は何だったのか、というレベルでは謎が解かれるといえば解かれる。
映画だけ観て(そんな人いるのか?)謎が明かされないという人は、原作を読んだら怒り狂うかもしれない。
とにかく後半の退屈さがすべてに勝ってしまって、前作以上の問題作であることは間違いないのだが
制作者の姿勢に(その良し悪しは別にして)ブレのようなものがいっさい感じられないのがスゴイ。
レナ役のひとは頑張ってるし。そういえば大石だけキャストが大杉漣にチェンジだったのだが
前作の大石や鷹野さんが「性格の違う大石・鷹野」として認識されていたのとくらべると
今回は「大杉漣が演じる刑事」になってしまって馴染まないのであった。大杉漣 IN 雛見沢。

空白と創造
早起きするにはしたのだが、午前は本を読んでしまった。

宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の単行本。
九十年代後半からゼロ年代前半までのマンガ・アニメ・特撮・ドラマを分析すると
大きな物語=絶対的な価値観が存在しなくなり、それは困るとひきこもってしまう碇シンジ的態度から
自分の価値観を選択して行動する夜神月的な態度へ変化していて、じゃあこれからどうしましょうねという話。
少なくともフィクションの世界については碇→夜月への移行というのは正しいそうだと思えるだけの
説得力はあるのだが、では夜神的世界の“自分たちの価値観を外に押しつける”暴力性を
どう解決するかというところになると「日常への回帰・再発見」と「依存ではない共同体=友達」という
いたって純朴というか、素朴なところに着地させてしまうのがよくわからない。正論だけど。
フィクションにおける「日常」こそ現実の非日常なんだからそりゃ面白いさ、というのもあるけど
わざわざフィクションを引き合いに出さなくても成立する話なので、これは十分に正論でしょう。
「安全に痛い」という機構についての話は何かと保険をかけがちな現状にたいして一番ピンポイントかも。
それと東浩紀の本は具体的な作品紹介になると「僕ループモノが好き!」という情念が
染み出していたのだが(構造紹介なので難しいだろうけど、あれはいくらなんでも頑張って説明しすぎ)、
ドラマのとこは盛り上がってるけど、あらすじ紹介がわかりやすくて普通のレビューも書いてほしいと思った。

午後から学校で寝る。何かできることを見つけないと駄目だ。

消えた半年
昼からスライドをつくる。
実質の内容は五月までやっていたことのまとめ。では、そこからの半年はどうしたのか。
HLのほうは予想が甘くて何も結果らしい結果を出せなそうである。五月までのだけでよいのだろうか。
いまさら駄目って言われても困ってしまうのだが。五月までのでいいのなら、もう書くもの書きますよ?
そこそこの量になってしまったのもあって、結局一日かかってしまった。三十分で説明できるだろうか。


リニアしぐま
昼から学校に行くが寝る。
ちょぼちょぼと場を進める。知りたいのはもっと先なのだが、その前にはつまらぬものを
読んでおかないと結局わからないというジレンマ。もっといい教科書ないのかよぅ。
しかしダラダラしすぎなのである。このままどうにかなるならいいのだが、ならないなら早急に誰か止めて。

スープの冷めない距離
おきられたら学校行こうかな―などと考えていたがそれは無理だった。

長嶋有「パラレル」を読む。
離婚して間もない「僕」と友人の「津田」の過去と現在の話。ストーリーというほどのものはない。
やはり細かなところのリアリティが良い。津田の家に遊びに行ったときに、津田の母が帰ってきたあとは
トイレにそれまでなかった緑の便座カバーがついていた、という話が大変よかった。
“金輪際”のエピソードも笑える。他作品でもよくゲームやマンガは出てくる。詳しいのかしら。
恒例の“他人とのなんともいえない距離感”は「僕」と離婚後もよく連絡を取り合う元妻の関係や
性格は全然違うのに大学時代からの付き合いがある津田の関係として出てくる。
つかず離れず、適度な距離感というのはなんだか羨ましい。

「人狼」見直し。月が出たり隠れたりするのと、公私の切り替えが対応してるらしいことに気付いた。

癒し系悪意
「CURE」を観る。黒沢清映画。むかーし観たはずなのだがほとんど覚えていない。
首筋を十字に切るという事件が同時多発し、役所広司演じる刑事が捜査するというサスペンスもの。
個人レベルの「虐殺器官」、というのは流入経路が逆で、国家・民族レベルの「CURE」という発想が
「虐殺器官」のベースにはあるそうですが、まったくもってそういう話だった。
一人の男によって“与えられる”のではなく“引き出される”殺意。心のどこかにあるスイッチをひとつ
パチンと切るだけで平然と他人を殺せるようになる、というあたりのポイントが高い。
殺意が特殊なものでなく、あくまで全てのひとにそれがシステムとして予め組み込まれている感じ。
過去の映像フィルムを通して歴史性が仄めかされるのも話が広がってよい。
音楽がほとんどないとか、カットを割らずに長々とワンシーンがつづくのもこだわりが感じられるし、
こぼれてじわじわ広がる水や檻に閉じ込められた猿、吐き出されて拡散する煙草の煙など
厭なイメージもたくさん。「回路」と比べると話の筋もわかりやすく、人気があるのも頷ける。

ミニロバのあとをついていけ
左目が痛いし涙が出るしで使い物にならないので午前は寝て過ごす。
どうして左目だけなのかが実に不思議だ。眼科でも特に何も言われなかったしなぁ。
図書館やら銀行やらに行くが建物に入ったり出たりするだけで涙が止まらなくなるので弱った。

「東京マーブルチョコレート」を観る。Production I.G のOVA。
クリスマス、あるカップルにおきたちょっとしたお話という感じで、気が弱い悠大の視点での「全力少年」編と
ドジなチヅルの視点の「マタアイマショウ」編の二編からなる短編アニメ。各三十分。
パッケージの画が綺麗だったので借りてみたのだが、これは残念賞だった。
展開がかなり平坦で、出来事が少なくて希薄な感じがする。普通のTVアニメの一話のほうが
まだ起伏があるんじゃないか。比べるのも何ですがあの「桜花抄」と同じ三十分とは思えない。
男女それぞれの視点に分けているのもうまくいっていない、というか分ける意味がない。
理想は「それぞれで話がわかりつつ、両方観るとさらに納得できる」というようなものだと思うのだが
これは両方観てナンボなうえに、「マタアイマショウ」にエピソードが偏りすぎている。
ということで「全力少年」→「マタアイマショウ」の順に観て正解だった。逆だったらさらにアレだったかも。
特典映像が売っているやつとレンタルで違っていて、レンタルには二編を混ぜて編集した
“cinema edit”が入っているのだが、これが過不足なくまとまっていて一番いい。これだけでよかった。
悠大の“いい人”があまりに記号的なのもしょんぼり。安っぽい音楽にも、申し訳程度の挿入歌にもがっかり。
「全力少年」で助けられた後に悠大がマフラーを直すところはよかった。ちょっと落ち着いたのね、と。
「マタアイマショウ」のヒマワリのイメージとかよくわからない部分もあるにはあったので
また時間をおいて見直したりすると違うかもしれない。また余裕があったら。

黒い穴と不思議な紐の関係について
早い時間におきて学校。午前は昨日の続きだが、何の話をしているのかさっぱりわからない。
あるモノについて計算するときに、まったく別のモノが使えそうだという話なわけだが
それがテクニカルな問題なのか、それとも何かの構造があるのかが大事なんじゃないのか。
話を聞いたかぎりでは単に「使える」ってだけらしい。それってアリ?

午後は寝てしまって眠い。逆だ。眠くなってしまって寝る。早く起きた分が睡眠時間に消えていく。
図書館に本を返しに行ったついでに環境ホルモンの話を聞きに行く。「静寂の通路」を地で行く話だった。
話がいろいろ跳んでしまって講演としてはよくないと思うけど、いつか何かの拍子に思い出すかもしれない。

その後は場をやる。よくできてんな。

「マルホランド・ドライブ」を観るがこれまたさっぱりわからない。
いちおう筋が通る解釈は可能、らしい。でもなー見直すほど面白いかな―。
ナオミ・ワッツの演技はすごかったんですが。

しいえふてー
暖房つけた。それでも寒い寒い。夜より朝のほうが冷え込む。

復習の続きをやってから、現状報告。
分母のベキだけでは大小が判断付かないため、いまの路線で進むのはつらそうである。
これは袋小路に追い込まれたかもしれん。いまから別のことをやるのでもいいんですが。

えーでーえすの話を聞く。
場の知識すらないのだから、わからないのは当然である。こんなものわかるのがおかしい。
それなのに「皆さんもよくご存知のように~」と言われても困る。知らねっつの!

袋小路はパスして、場をちょっとやって帰る。手袋をしてきて正解だった。

HJ形式
ぎりぎり午前から。

これまでの復習。とくに確率の定義について。
計算がすらすらと進むようになっているのは不思議である。長いこと謎めいていた変な微分は
共変を二回と等しいのだということが判明したのは大きいが、なぜこのかたちなのかは謎のまま。
肝心の確率については、作用の微分パートを無視しているのが謎だ。個々に保存するのはわかるが
片方だけを比べても大小の比較はできないように思うのだが。計算の都合だろうか。

寒いバス停で待っていると、少しだけ星が見えた。そういえばもう第三回の時期か。がんばってください。

カスな解
やはり寝つきが悪すぎる。そして寒くて起きられない。暖房つけようかな。

昼なのに寒いのでコートを着て学校へ。
通常のタイプIXの復習。ぐだぐだと計算をして、Hを求めるところまでは出来たのだが
その後のタイプIと同じ形にするところがわからない。だいたい座標をどうしているのか。
あきらめて古いのを読もうとするが寝てしまう。字が小さいのは読めない。
リスケールも考えるが、高次部分は無視してしまうのがよさそうである。もう少し考えてから相談しよう。

ぶちあたる壁
昼から学校。
いつか来るだろうと思っていたがHLでのタイプIXという今やっているやつが出たので慌てて読む。
どうやら作用を計算して、スケールが非常に小さいという条件を課して壁での反射を調べたらしい。
と、いうことは全体のバウンスには触れていないので、まだできることはある。
もし完全に同じことをやられていたらどうなっていたのだろうか。どうにかなったのだろうか。
しかし普通の相対論のやつでもあまりよくわかっていないことが判明したので少し復習しよう。

小さな小さな惑星のうえで
昼前におきる。

「回路」の女幽霊のシーン見直し。何度も見ているうちにギャグに見えてくる。
あのホラー風味ギャグ映画「叫」も夜中に観ていればまた違ったのかもしれん。

「セブン」を観る。昔観たことがあるのでストーリーも終わりかたも知ってる状態で観た。
“七つの大罪”に見立てた連続殺人事件を捜査するというサスペンス。
映像センスが大変良い。水溜まりに犯人の影が映るカットのかっこよさ。
ラストの巨大鉄塔だけが立ち並ぶ荒野って実在するのかしら。アメリカンな世界の果て。

「宇宙戦争」を観る。スピルバーグ作品。
H・G・ウェルズの原作は読んだことがない。実に百年以上前の話なのか。
激しい雷とともに宇宙人の侵略が始まるなかで、子供たちを連れて妻の実家へ避難しようとする話。
伊藤計劃の評を読んでいたからというのはもちろんあるのだが、冒頭のキャッチボールはすごい。
まるで殴り合っているのを見ているかのようなインパクト。セリフ自体の攻撃性をはるかに越えて
何か見えないエネルギーが、それまで隠されていたものがすぐそこに現れようとしている。
その後の庭で激しくはためくシーツも嫌な予感をたっぷりと纏っていて、映像って凄いなと思った。
宇宙人の機械が現れたシーンの印象はリアルな“怪獣映画”。怪獣の出現するシーンを、
その怪獣が人を容赦なく殺すシーンを怪獣中心でなく、逃げまどう群衆の中の一人の視点から見たら。
これでゴジラやガメラ、あるいは軍隊のような“ヒーロー”が現れれば完全に怪獣映画なのだが
この映画の主人公はそれを目撃しない。とにかく逃げる。だって一般人だもの。
代わりに彼が目撃するのは人間が灰になって飛び散るところであり、川を流れていく死体であり、
撒き散らされた血で真っ赤に染まった大地である。圧倒的で一方的な悪意と
それに翻弄される人々がひたすら歩くシーンは「シンドラーのリスト」を彷彿とさせる。
そういう意味においてこれは紛れもなく“戦争映画”でもある。「宇宙戦争」というタイトルは正しい。
終わりかたはオマケみたいなものでしょう。むしろ終わったこと自体に驚いたよ。
この非常事態に息子の野郎は何を考えてるんだとか、地下室でカメラ触手がうねうねパートが長いとか
気になるところは確かにあるけど、そんな欠点を補ってあまりある映画だと思う。

サーキットの幽霊
ゴミ出しがあれば起きられる。毎日収集があればよいのに。

とても久しぶりに午後から学校に行く。
寝ながらも場。とりあえず先に進むべ、ということでYM理論のRG流れをやるが
QEDがもとになっているので何をしているのかわからない。QEDからやり直さないといかんのだが
そのためには何次の発散かが必要で、それって必殺技まで戻るのでは。進めん。
あとどの要素が交換できるとかも曖昧なので、一度はっきりさせたほうがよいのは明らかである。

「回路」を観る。
ネットを通して幽霊が現れて、それを見た人が影になって消えていく世界の話。ホラー&終末モノ。
夜中に観たことを少し後悔した。夜中に観るのが正解である。こわい。というか気味の悪さがすごい。
中盤の女幽霊。見た目もあるのだが、なんといっても動きが肝である。この動きを考えた人は天才だ。
腕の動かし方が普通と違うだけなのだが、それがこんなにも気持ち悪さに繋がるとは思わなかった。
歩きだす前に腕が動く、というのもポイント。踏み出される足への光の当たりかたも完璧。
「予想と違う動きをする」という違和感が恐怖にまで転換されるのを目撃してしまった。
このシーンが凄すぎて、評判の“ワンカット”については厭な感じこそしたもののそこまでの衝撃はなかった。
あとこの監督が撮ると普通の街かどが物凄く寂れて見える。マンションが廃墟にしか見えない。
灰色の映し方がうまいのだろう。でも世界崩壊パートの街はそれほどでもなかった。
ざらざらした解像度の低い画面に初め驚いたが、これはこれで影の輪郭が曖昧になって効果的だった。
中盤、唐突に幽霊現象についての仮説が語られるものの、結局最後まで何がなんだかわからない。
これと比べると、映像的にも内容的にも「シャイニング」がどれだけソリッドな輪郭をもっていてのかがわかる。
登場人物の行動やセリフがおかしなシーンが多く、普通に考えると筋が通っていないのだが
そもそも論理の狂った世界の話なのでこれでオッケー。あの世界ではあれで正常なのでしょう。
明らかに孤独や死について語りすぎなセリフもテーマというよりは世界の狂気なのだと思えば気にならない。
あとCGは浮いていてよくない。日本の映画はお金をかけないCG使うのをやめてはどうか。

我は何次
ゴミ出しのため朝のうちに起きる。目的があれば起きられるらしい。学校は?

場をやったり、来週のセミナーの予習として日本語の解説を読んだり。
セミナーのはQDCについてもちょっとは知っておけ、みたいなことが書かれていたがそりゃ無理だ。
場のほうは必殺技部分の復習。前よりはよくわかる。手を動かしたので計算に慣れたのも大きい。
これでRG流れもわかるかと思ったらそんなに甘くはなかった。何次の発散ってのはどうすればわかるの?


差異クリック
早く寝ても起きる時間が変わらないのは解せん。

古いのを読み直したり。やや迷走中。
確率流れについてはわかったようなわからんような。これはスケールを統一して比較するべきだったかもと
思ったが、流れは保存されるので関係ないか。膨らんだのが小さくなって同じところを通るとかは
運動量のほうで違うようになるからいいのかしら。でも座標空間だけで定義してるはずだし……?
Vのひとのは手を動かさないといけないので、また今度。
サイクリックについてもちょっとだけ読むが、これは膜でのモデルなのか。あまり参考にはならん。
ラムダがうまい具合に変化して加速膨張→収縮となってほしいのだが、場では再現できないのだろうか。

フォックス・トロット
おきたら昼+微熱により休みにする。

神林長平「狐と踊れ」を読む。短編集。
「ダイアショック」と「敵は海賊」が面白い。「ダイア」は落ちがよかったので、話自体はもっと短くてもよいな。
裏表紙の著者の写真が若い。55年デビューなんですね。今や大御所ではあるが、世代的には若い、のか?

夜に熱を測ると平熱になっていた。今週は土日にも学校行くかなぁ。

スケール逆四乗ゲート
おきられん。昼から。

昨日のやつを見直し。途中にミスをしていないかを確認後、グラフをプロットしてみる。
どうやらどちらも符号は一定らしいということがわかったので、方程式を出してみると
μの符号に依存するものの、基本的には四次の部分で運命が決まると言えるらしいことがわかった。
これで一安心なので何か読むかぁと思ったが寝てしまう。細かい勉強をせにゃあね。

World Wide Web
昼から学校。
あれこれ試して配列に式そのものを格納することができるまでになった。
マニュアルは英語で、テキストが英語だったりするぶんにはかまわないのだが
ウェブページが英語なのはやっぱりキツイし、なにより読む気がなくなるから不思議。
プリントアウトしてしまえば読めそうな気もするのだが、そこまでするのも面倒くさいしな。
途中までの過程をセーブして、それをロードすると三角関数をきれいにするコマンドが
効かなくなるという謎のバグ(?)があるので何度も初めからやりなおしたりしつつ
なんとか求める式にたどり着くと、予想に反してゼロじゃない。これはちと困るかもしれん。

My Hero in My Head
「ファイト・クラブ」を観る。
その名の通り、男たちがひたすら殴り合う秘密クラブを巡る話。
リアリティとしての痛み、身体性への回帰みたいな話や、他人につくられた価値観に踊らされるななど
単純すぎる話が出てくるのだが、単純であるがゆえに説得力があるし何よりカッコイイ。
あるがままに生きるヒーローにブラッド・ピットはぴったりだし、彼に感化される主人公のエドワード・ノートンも
ナイーブな感じがうまく出ていてハマり役。ヘレナ・ボナム=カーターはこういう不健康そうな役ばっかりだな。
終盤の展開には笑ったが、“他人”であるヒロインと手をつないで眺める風景はティム・バートンっぽくてグッド。

ブレランの「ファイナル・カット」を観てから寝る。今週はちゃんと起きたいが……

4の配列
ゴミ出しをしなければならんので起きる。今週一番の早起きですな。

「ダイ・ハード」を観る。
続編の「2」あたりは観たことがある気がするのだが、記憶にないのでまずは一作目。
高層ビルでテロリスト(スネイプ先生。ふかわりょう似)と単身やりあう、というだけのシンプルな内容。
シリーズで一番面白いらしいのだが、そんなに面白いかな。もはや標準形としか観られない。
しかしテロリストなら出会い頭にマシンガンでめった撃ちにしていいという価値観はすごいね。

本を読んでいたが寝てしまい、起きたら夜中だった。

「ガタカ」を観る。
子供をつくる時点で遺伝子調整を施すことが当たり前になった近未来。
遺伝子の適合性がたりないせいで宇宙飛行士になれない主人公は
最高の遺伝子を持ちながらも事故で車椅子の生活を送ることになった青年の遺伝子情報を
借りて“ガタカ社”に入社して宇宙を目指す、という話。設定ほどSF色は強くない。
青が綺麗なオープニングや、ユージーンが煙草を吸うしぐさや、シックなデザインの近未来といった
要素要素はいいのだが全体としてはポテンシャルを活かしきれていない感じ。
だいたい殺人とかヒロインとかはいらなかったんじゃないか。メイン二人と弟と宇宙の話だけでも
十分だったのではないかと思える。あと“彼岸としての宇宙”はもっと強調してほしかったなぁ。

開かない箱
ぎりぎり朝のうちにおきる。一時はどうにかなったかと思ったリズムが崩れてきてるな。

ソフトのいろいろを調べる。
止まってしまうのは一気に表示させようとするからで、表示させずに計算だけして
成分をひとつずつ表示させていけばOKなことがわかった。三角関数をきれいにするのに
わざわざコマンドが必要なのはよくないと思う。デフォルトできれいにしようよ。
手計算ひとつひとつを確かめると合っているのに、曲率から座標依存が抜けなくて
もしや、と見直してみると一番初めの設定自体でシータとファイが間違っていた。なんだ、これは。
つまり全ての手計算は無駄だったと。もう初めからソフトを使うべきなんだな。
あとは添え字で和をとるとか、計算結果を配列として保存するやりかたがわかればすぐなのだが
それがよくわからない。添え字での和は手打ちしかないのだろうか。
はじめは全て手計算するつもりだったのになんだが、面倒くさいことはできるだけ避けたい。今後のためにも。

マニュアル非対応
おきられませーん。午後から。

地道に計算を続けていたが途中で嫌になってしまって
計算ソフトでどうにかするべぇという方向にシフト。いろいろ検索してみる。
フリーなのに文句をいうのもなんだが、マニュアルの整備はもっと力をいれましょうよ。
ソフトに限らず、パソコン関係は個人がまとめた小さなマニュアルの断片だけが
ネットの海を漂っているような気がしてしかたがない。非効率も甚だしい。
どうして正規のマニュアルというのは実用性に乏しいのだろうか。不思議である。
計量からリッチまでは計算してくれるらしいということがわかったのだが
結果を表示させようとするとエラーが出て止まるのに困ったところで今日は終わり。

消失点への旅
午後から学校。ふと気がつけば木々に色がつきはじめておる。

ひたすら計算をする。
最終的にゼロになって消えることを確かめるためにノート何ページにもわたって計算するのは
どことなくシュールな気配が漂う。しかし長いな。これは不毛すぎる。
途中で振り返ってみると計算ミスがぽこぽこ見つかってやり直し。この荒野はどこまで続くのか。

なまえのないかいぶつ
「プライベート・ライアン」を観る。
ライアン家の四兄弟の上三人が戦死し、末っ子を保護するために
ノルマンディー戦線で八人のチームが組まれてジェームズ・ライアンを探しに行くという筋で
正直納得できるようなできないような。ソウル・サヴァイヴァー・ポリシーといって全員が戦死しないようにする、
というのが実際にあるらしい。一人っ子も戦場には行くんだよねぇ? やっぱりわからん。
冒頭三十分、ストーリーもドラマも入り込む隙がない戦闘シーンは圧倒的なのだが
つい最近「ブラックホーク・ダウン」を観ているので微妙に慣れてしまっている。
それでも上陸用の船ってあんなにちゃっちいつくりなのかとか、銃が濡れないように
傘を入れる細長いビニール袋みたいなのに入れているのが画として衝撃的であった。
一段落つくとしばらくは落ち着いて、小競り合いがありつつもライアンと合流、最後に戦闘があって終わり。
最後の戦闘は冒頭のものと違って映画的なものなのだが、見上げるようなアングルから撮られた
戦車が非常にカッコよかった。砲弾で建物が砕け散るシーンはかなりの快感がある。
思えば「マトリックス」のロビーでの銃撃戦も、「ブラックホーク」で巻き上げられる土も
「ラピュタ」の機関車が戦車の砲撃をくらうシーンも根は同じ、飛び散る欠片の美しさなのだった。
しかしいざというときに人が呼ぶ名前は「ママ」と「神」なのだなぁ。

「シンドラーのリスト」を観る。
第二次大戦中のポーランド。“ポーランド人より安く済むから”という理由で
ユダヤ人を雇って琺瑯工場を経営していた実業家シンドラーが、惨状を目の当たりにしたことで
ユダヤ人を救うための行動を始める、という実話をもとにしたフィクション。DVD二枚組で三時間。
暴力ってなんだろうか、と思ってしまう。これは暴力と呼べるものなのか。
一瞬のためらいもなく撃たれて倒れる人。ベルトコンベアで無造作に扱われる死体。
「喜ばせたり怒らせたから殺されたんじゃない。どうでもいいから殺されたんだ」というセリフがあったが
まさにそれ。任務だから、とか憎んでいるから、とかではない。そもそも相手にされていない。
モノとすら見られているのかわからないような悲惨な状況。史実もこんなに酷い状況だったのだろうか。
仮にフィクションだとしても、この風景をつくりだしてしまったのはそれはそれで凄いことだ。
そんな世界のなかで、シンドラー(と、映画の観客)は“赤い服の女の子”という個人に注目することで
あの人々は“大勢のユダヤ人”などではなくて、一人一人がちゃんと名前もある人間だ、という
当たり前のことを思い出すことになる。これは名前を、個人の尊厳を取り戻すというお話でもあるのだ。
だからこの映画の冒頭は名前が呼ばれるシーンだし、駅で名前を書いた荷物は乱暴に扱われている。
そしてラストには一人ひとりの感謝の気持ちとして“全員の署名”が渡され、
カラーパートになってその名前は実在する人物の名だと知ってショックを受ける。
フィクションにでてくる名前は記号として認識してしまうのも問題ですな。
あと本編白黒というのも雰囲気がでていいですね。アウシュヴィッツの真黒な列車の禍々しさといったら。

忠誠と剣
起きるには起きたのだが、ガスの点検が来る日なので少し遅めに学校。
建物の耐震工事のために一階、二階の東側は窓枠すら外されている。建物の本質は空洞なのだな。

場を読もうとして寝る。いかん。
今日から中間発表とやらが始まる。人のを聞いてもさっぱりですな。
その後は現状報告に行く。中間発表って何を話せばよいのかと聞くと
これまでにやったことをまとめればよいのだという。前のやつも含めてよいらしい。それならだいぶ気が楽だ。
危機感というか実感すらない状況だったのでかなりホッとした。なんかもう卒業できればなんでもいいや。
で、H-Lのほうは後回しにしていたコットンだのリッチの微分をまずは計算しよう。

「グラディエーター」を観る。
ローマの将軍マキシマスが陰謀により妻子を殺されたうえに奴隷になってしまうが
コロッセウムで戦う見世物剣闘士としてふたたびローマにもどってくる、という話。
高校のときの世界史の先生が映画好きで、古代ギリシャの授業中に
「『グラディエーター』の監督が次に撮る映画のタイトルが『ハンニバル』だと聞いて
 カルタゴのハンニバルだと思ったら『羊たちの沈黙』の続編で、怖いのは嫌いなので残念だ」
という話をしていたのだが、あれってリドスコの話だったのかとついこの間気がついたのだった。
役者と美術は素晴らしい。マキシマスの声、皇帝とプロキシモの顔の皺、コモンドゥスの顔つき。
とくにコモンドゥスは画に描いたような“屈折したおぼっちゃん”顔で、キャスティングの妙だな、と。
街のシーンは画面いっぱいに不必要なほどのディテールが氾濫していてクラクラする。
合戦シーンでもコロッセウムのシーンでも、盾を組み合わせてガードするのがめちゃめちゃカッコよかった。
ラストのエレベーターも黒い盾がカッコイイ。直接対決という展開はいただけないが。
細かい描写には凄くこだわりを感じるのに、お話はかなりテキトーで変な感じ。
あと「パイレーツ・オブ・カリビアン」とそっくりの音楽が流れていた。これがジマーか。

熱気球ライド
昼におきる。めむい。

中原昌也「あらゆる場所に花束が……」を途中寝ながらも読む。
人物こそ多少の繋がりがあるものの、ブツ切れの場面がいくつもいくつも並んでいる。
しつこいまでの体言止めや「~なのだが……。」っていう文章は珍しいのだけど
思いつきをつぎはぎをしているだけに見える。ようわかりません。悪くもないけど良くもない。

「ゴジラ」を観て、久しぶりに「秒速」も観る。
「秒速」は花苗とお姉さんが進路を巡って険悪になっていた記憶があったのだが、全然そんなことはなくて
しばらく考えたあげく「耳をすませば」とごっちゃになっていたのだという結論に達する。記憶は信用できん。
あと各話で鏡を見るシーンが対応しているというのに初めて気がついた。まだまだですね。
いつぞや見かけたDVD-BOXは買っておくべきだったのだろうかと今でも悩む。



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